3D Visual Artist Atsuki Hirose

#2
3Dビジュアルアーティスト
広瀬敦規
アートのクラスでなら注目されるんじゃないか、友達をつくれるんじゃないかと思った。 「アメリカに来た当初は英語なんてできないし、アートでしか自分を表現できなかった。だから、アートのクラスばかりとっていたんです。ここなら注目されるんじゃないか、友達をつくれるんじゃないか、そんな気持ちで参加していました」 そう語るのは3D Visual Effects Artistの広瀬敦規さん。中学2年の秋、転勤族だった両親とともに日本からアトランタへ。高校生活はデトロイトで送った。コンピュータを使ったモノづくりを覚えたのもこの頃だ。

「グラフィックデザインやプリントデザインのほか、デトロイトという土地柄か、車のデザインを教えるクラスもありました。小さい頃からアートに興味があったし、モノをつくること自体が好きだったから、何をやっても楽しかった」

2003年、School of Visual Arts(以下、SVA)に進学するためニューヨークへ。グラフィックデザインからビデオの撮り方まで、コンピュータアートの仕組みを広く学んだ。

「コンピュータアートを勉強しようと思ったのは、3Dを使った映画が増えてきて、エフェクトも多くなって、それに感化されていったから。日本にいるときから『Toy Story』なんかはワクワクしながら何度も見ていたし」

さまざまな作業全般ができる人が重宝される日本とは異なり、アメリカ社会は分業制。一つのことに長けていたら、それで仕事をもらえる。3Dの世界に飛び込んでいった敦規さんも、大学では得意分野を磨いていったという。

「3Dモデリング(コンピューターグラフィックスの三次元画像で物体の形状を決定すること)に特化したのは、もともと何かをカタチにすることが好きだったから。色を塗ったりとか、光を当てたりとかよりも、モノをつくりたかったんです」

曲づくり、服づくり、盆栽……3Dは表現方法のひとつだっただけ、という敦規さんのモノづくり欲は実に多種多様。常に多方面からの刺激を求めているようだ。

「ニューヨークはアーティストの集まり。違う分野の刺激を受けられるから面白いですよね。例えば、最近写真に3Dが入ってきたのですが、同業者の中にはまだ知らない人もいる。でも、ボクは写真家の人とつき合いがあるから、そんなチャンスを知ることができるんです。広い分野でつき合いをもつということは、そういう意味でも好きですね」

自分と同じフィールドにいる人を追いかけるタイプではない、と言い切る彼は、あらゆるジャンル、すべての人やモノから影響を受けているという。



「いろんなところから小ちゃいモノを集めてくる感じですかね。逆に言うと嫌いなモノがない。いいモノだったら、別に何でもいいんですよ。かわいいなと感じたコップの形とか、そんなちょっとしたことをポケットに入れていく……そういう体質です」

一方、同じフィールドである映画やCFを見る際は、1度目は技術面をなるべく見ないようにして、作品そのものを楽しむようにしている。

「テクニックばっかりに目がいっちゃって、映画本来を楽しもうとしていない自分に気づいてしまったんです。本質の前に技術を見過ぎると、そこで否定的になったり、良いと思ったりして、その作品の言いたいことをまったく捉えようとしなかったりするから、それは避けなければと思って……。3D全盛の時代ですが、実は暗い作品や考えさせられる作品など、語りたいことがきちんと語られている作品の方が好きなんですよ」

勉強や夢に向かうための努力はもちろん
時代を読むチカラも必要

敦規さんの主な仕事内容はテレビコマーシャル制作。製品をコンピュータ・グラフィックスで再現したり、実写の映像にコンピュータ・グラフィックスを足したりする。

「インターン時代に初めてCF制作に携わったんだけど、完成品を見たときは、もう圧倒されたよね。自分が作業したのは一部だったから、『ここまですごい作品になるとは!』って……」

卒業後はフリーランスに。起業した現在も、プロジェクトごとにスタジオから声がかかり、チーム単位での作業に入る。

「売り込むケースも多いのですが、ボクの場合はスタジオで働いていたSVAの先輩が紹介してくれて、そこで知り合った人がまた紹介してくれて、違うスタジオにいたら、また紹介してくれて……というパターン。おかげで、基盤というかコネクションがちょっとできてきました」

広告の仕事はクライアントありき。モデラーとして働く敦規さんは、CMプランナーやディレクター、アニメーション監督などのヴィジョンを忠実に再現しなければならない。

「確かにこういう業界に入ると、アーティスト的な感覚は薄れて、職人的になりますね。やはりクライアントあっての仕事だから、彼らが望めば、それがどんなにセンスがないものでもつくらなくちゃいけないし、自分のアイディアを埋め込みすぎるとアウトになっちゃう。要望されたものをどれだけ完璧につくれるか、要望に応える技術をどれだけもっているかの方が重要視されるんです」



それでも広告にこだわるのには理由がある。拘束時間が1〜2年と長い映画に比べ、1ヶ月ほどの短期でつくれて次々と新しいものに変わっていく広告の仕事は、飽きにくく、経験値も高められるのだ。

「この分野では一つのプログラムを習得したとしても、どんどん更新されるから、毎年新しいことを学ばなきゃいけない。ボクも新しいことが入ってきたら、それを勉強するために何かをつくってみたりはするけれど、個人では大掛かりなものはできないし、1分間で何かつくったから『YouTube』に載せよう、というのも現実的ではないんです」

個人で短編作品を制作するのは難しいという敦規さんだが、近頃はライティングの勉強も始め、仕事を広げようと模索している。

「分業制だからこそ、モデリングとライティングの両方ができれば、二つの仕事がもらえるでしょう。それにモデリングだけだと、プロジェクトの最後までいられないから、ちょっと面白みがないんだよね」

今年は『アバター』や『アリス・イン・ワンダーランド』など3D映画が大ヒット。3Dテレビも相次いで発表された。敦規さんにとってはチャンス到来だ。

「今後3Dを用いた広告や映画、テレビ番組は増えてくると思うし、3Dはもっと身近になるはず。今まで無かったような仕事も、どんどん増えてくるでしょうね」

とはいえ、日進月歩のソフトや技術にどこまでついていけるのか、常に不安がつきまとうという。

「40、50になったとき、今のようにやっている姿が想像できないんですよ。ソフトも技術も何かしら変わっているはずだし、学校を卒業したばかりの若い子に、経験だけでどのくらい勝てるかもわからない。今使っているソフトが終わっちゃって違うのが出てきたら、40になってイタリア語を学ぶのと同じでしょう? 覚えられるけど、染みついてくる速度は遅いでしょうね」

将来を見据え始めた現在は、自ら立ち上げた会社を実用的に動かすのが目標だ。

「モデリングだけに留まらず、最初から最後まで制作するのもいいし、必要であれば同じフィールドで活躍するフリーランスの人たちを雇うのもいい。CMだけじゃなくて、ウェブサイトのエレメントをつくったりもできるし。将来的にはディレクションとかができたら、アーティストとして活動できると思うんだけど、そこまでどう繋げていくかっていうのは、これからの課題でもあるかな」

ニューヨークに来て7年、広告の仕事に携わっている者として、この街から離れるのは難しいと彼は語る。

「アートセンスを求めたり、スタイルを求めたり、こういうモノをつくりたいっていうヴィジョンがあるんだったら、ヨーロッパやカナダにもいいスタジオはいくらでもある。けど、これだけいろんな会社があって、定期的な仕事も受けられるニューヨークからはそう簡単に抜け出せないかな。仕事の環境は整っている方だと思いますよ、世界の中でも」

だが、これからニューヨークをめざす人には警告もある。

「最近ビザを取るのも厳しくなったでしょう。だから、ニューヨークで純粋に仕事がしたいって思っているなら、勉強や夢に向かうためのちょっとした努力はもちろんだけど、時代も読んでいかないと。ファインアートとか、自分を高めたいというような人は、1年ごとに国を変えて旅行してもいいし、いろんな方法があるけど、ニューヨークでビジネスの中に入ってやっていきたいんだったら、ただ漠然と来るのでは思い通りに行かないことの方が多いかもしれないね、今は」

ひろせ・あつき 1985年、バンクーバー生まれ。1998年に両親と共に渡米し、2007年School of Visual ArtsのComputer Arts専攻科を卒業。フリーランスの3D Visual Effects Artistとしてさまざまなプロジェクトに参加しながら、2009年、Monom, Inc.を設立。Nissan、OLAY、Ford、AT&Tなど、数多くのテレビコマーシャル制作に携わっている。http://atsukihirose.com/

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