雰囲気とか、空気感とかいう、あたかもいい加減な言葉がある。そんな言葉を発することで、何かを記述したつもりにさせる、重要なものがあるかのような錯覚を起こさせる便利で無意味な言葉だ。これを侮ってはいけない。たとえばそこに、廃墟と、乞食と、砕けちったガラス瓶と夜がある。するとそこにはムードがある。記録しておくに値する何はなくとも、たしかにそこにムードはあるのだ。
Godspeed You! Black Emperor というジャズやオーケストラの楽器も含んだ、カナダのプログレRockバンドがある。それを好きであると言うことが、まるでひとつの挑戦のような、歪な音楽性を貫くことが天命であるかの様に考える、ある意味ヒドク古風な、そして言ってみれば露骨に非アメリカ的あること、同時にそれは現代のヨーロッパ人には困難なほどに、死滅したヨーロッパの理想主義に沈み込めるバンドである。

ケベック州モントリアール、ここでは力強い在り方の数々が、歴史の中でカーテンを降ろしてしまうその前に、冷静な人々に回収され密かに蓄えられる。ニューヨークの様に日々価値の転化を繰り返すことが活力である軟体生物のような、また同時にひとたび確立したものは宿命的にズタズタに引き裂かれてしまう、そんな意味と価値と欲望の風のような場所で、クタクタにくたびれて消え入りそうなスタイルの数々は、モントリアールで再生し、安定した形で継承を約束されるのだ。Godspeed You! Black Emperor に限らず、たとえば彼らが所属する Constellation Records などが確立され得ることは、そのことを証明している。
彼らの曲を聴いていると、ジョークで曲にタイムコードをつけてやりたくなる。18分や25分以上という一曲の長さの中で、彼らがひとつになって壮絶な空気を再現する瞬間はわずか数分にも満たないのではなかろうか。しかしこの数分間は、くだらない生活に振り回され錯乱している人々の意識が、ある突き抜けた水準まで引き上げられることを確実に約束される豊穣の数分間だ。

彼らの世界観はひどく綿密に、そして途方もなく既存の世界の延長線上にある。これはひとつの重厚で厳格な主張である。飽きても、疲れても、行き詰まっても、限界まで着ても、これまでの音楽に対して辛抱強く応答を繰り返すこと、それはすでに死んでしまったかもしれない恋人に電話をかけ続けるような、そんな音楽である。だから彼らと付き合うには、それに値する忍耐と献身の眼差しがなければ、この重たいサウンドの歴史、その重圧には耐えられない。あたかもこれはひとつの修行である。

ロックがついに雑草や石ころから信仰の対象にまで浮き上がる。それが一部のサイコの異常なわめき声だったとして、その声はスピーカーから世界中の物足りない奴らの貧乏揺すりを落ち着かせるに違いない。すでに燃料が尽きたにも関わらず、炎に包まれながら軌道から逃れられず、飛行し続けるしかないロケットや、嵐の中でグルグル回り続ける幽霊船のように、彼らは非常事態のなかを悠々と漂うサウンドの塊である。
音色は気怠く、どこまでも内向的。彼らがステージに現れるということは、快晴に積乱雲がもくもくと広がってゆくようなものであり、どん底の鬱陶しさはホラー映画の万倍も僕を不安にさせる。彼らが遊び半分につける曲のタイトルや、そもそも Godspeed You! Black Emperor というバカげた名前こそが、音色以外の存在価値を意図して鼻で笑っているのだ。

緩んだ神経が、暗い影に追いつめられ、気づけば直立で張り付けられるよな、にもかかわらず何故かそんな音楽を聴く度に、どこか安心しないわけにはいかないのである。何故なら僕らが幸せと決め込んでいる、気楽なだけの下らない毎日がいかにモロいかを、胸くそ悪いほど切実にコイツは立証してみせるのだから。